みなさん、人間生きていれば、認められたい人から社会からと思うことがあるでしょう
傍から見れば「ああ、なんてあの人は幸せそうなんだと」思うでしょうがそれは間違いだ。
認められるという事は、世間の型にはめられいいように人々や世間に消費され
そして最後は、飽きられ忘れ去られヘタをすれば過去の栄光を取り戻したいがあまり
狂った行動をとり、他人に迷惑をかけたり逮捕されたりもう無茶苦茶だ。
たとえ、世間にや人々に承認されようが、嫌われようが、理解されまいが
別にこの世に今存在しているのだから堂々とその場に立っていれば良い
仮に死○や消えろと言われてもそいつにそれを決める権限はどこにも無い
自分以外誰も決められ無いのだ。
そして、評価されないというのは別に悪いことではない
犯罪をおかさなければ、自分なりに自由に制約を受けずに物事を成す事ができるし
時間も気力も自分が使いたいだけ取り出して使うことができる。
孤独も使い方を誤らなければ自分の心を豊かにするエッセンスになる
僕が思うにあなたという機関車の運転手は自分であり、周りに好かれないと合わせないと
という理由であなたという機関車の運転台に他人を乗せてはいないだろうか乗せているので
あればすぐにご退場してもらおう自分自身が時間も気力も使い果たさないうちに
自分の運転を取り戻そう自分らしく行けば自己承認欲求は途中の駅で降りていき
自己肯定感が次の駅で乗車してくるだろう。
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