祖父が亡くなった

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ひとりごと

令和五年十月三十日の夜、祖父が風呂場で亡くなった。

八十二歳だった、僕と母と父は別の場所に住んでおり家には

祖母しかおらず近所の人と必死で助けようとしたがどうにもならず

救急車で病院に運んだが手遅れだった。病院と警察が死因を調べても何も分からず

刑事さん曰くヒートショックではないだろうかと言うことだった。

祖父の遺体は眠っているのかと勘違いするほど血色が良く、安らかな表情をしていた。

それを見て僕は、現実を受け入れられなかった。「悪い夢だ、そうに違いないと」

目の前を涙で霞ませながら僕は祖父の手を取る、その手はまだ少しぬくもりが残っており

さっきまでこの世に生きていた事を物語っていた。大きくて繊細な祖父の手を見て我、思ふ

この手がこの家と家族を支え育んできた手だ。そして、様々な車を修理し人のために

なってきた手でもある。祖父は若い頃は、航空自衛隊の整備士として活躍しその後は

自動車会社で働き定年まで勤め上げた。きれい好きで毎日家の掃除や洗濯をして

していてとても几帳面な人だった。花が好きでよく庭いじりをし僕たち家族や親戚が

家に来ると「いらっしゃい、よく来たね」と祖父は笑顔で歓迎してくれた。

盆、正月はみんなが集まってご飯を食べビールを飲んでニコニコしている祖父を見るのが僕も家族も

好きだった。面倒目が良く世話焼きで几帳面な父祖は突然、旅立ってしまった。

僕は何かしてあげられただろうか、もっと顔を出しておけば良かったと僕は後悔している

ただ自分が分かった事といえば、人間は、近くにあるものを見るのが難しいという事だ

大切なものは、近くにありそれが故に気づきにくいのだと、だから近くにも目を配りながら

一日一日を大切に生きなければいけないと僕は最後に祖父に教えられたと思う。

最後に大好きな祖父に言いたい

お疲れ様でした。あなたは、八十二年間今日という線路を敷いて来られました。

そしてあなたの敷いたのその線路が家族と関わってきた人々の道標となり

人生をより力強く豊かにしていくのです。もう姿を見ることはできないけれど

おじいちゃん今までありがとう、見守ってくれて支えてくれて笑顔にしてくれて

僕は忘れない約束するよいつまでも

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