我、悩む

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ひとりごと

自分がどうしょうももできない事は幻想なのか、はたまたハッタリか、「いや、そんなことはない。」

「しないのではない、できないのだ。」自分はその人に言いたい、この苦しみは、このもどかしさは、この痛みは、茶番か、コントか、偽善なのか今まで堕落しふざけていたとでも言うのか。助けがほしいでも、「甘えるな、言い訳するな」と、突き飛ばされどうすることもできない救いもない。

自分なりに考えて生きてきたでも、それを「努力が足りない、やる気がない」と、いわれのない事を言われ叩かれ、「○ね」と、罵られるその事を放った人には家族がいる、僕はその人に言いたい。

自分の家族が「○ね」と言われたらそして、その家族が他人に向かってそのことを言って傷つけた時、あなたは自分の放った言葉のとんでもなさ愚かさに気付く事はできるのか、そして家族に何を語れるのか自分の事を棚に上げて命を大切にだとか都合の良いように言うのであろう。そもそも、他人の命や人生や考えを踏みつけにして口汚く罵る事は人間としてやってはならない事でありどんな人でも生きる権利がある。その上で、我、悩み思う、どのような運命であろうとも僕は、すべての人生にイエスと言おう「○ね」と言われて消えてもいい存在も人生もこの世には無いと信じて僕は、今日という線路を敷くどんなに先に困難や絶望があったとて。

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